仏教について軽く調べれば、沢山の師が色々なことを言っていることが判ります。
どれが本当なのか解らなくなります。
だから、お釈迦様が本当は何を仰られたのか、知りたくなります。
経典の成立の歴史、教団の発展の歴史、字句の解釈など、疑問がつきません。
正見を得ようとして、方便にだまされ、邪見に囚われます。
おそらく結論は、
沢山の師の、「それぞれ説の中に正見と方便と邪見が含まれている」
ということです。
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正しく理解するためのヒントがあります。
1. お釈迦様の生きていた時代は現代より2500年前の科学の未発達の時代であること。
だからいまだ私たちが知らないそんなに凄い真理が見つかるはずがない。
つまり、お釈迦様の説は、いまの私たちにとって極めて常識的なものである。
当時は、動物と植物がおなじ遺伝子DNAの仕組みで増える仲間であるなんで誰も知りません。
だから当時の戒律「生き物を殺すな」もせいぜい動物までです。
現代風に解釈し直し、「人は殺すな、動物と植物はできるだけ殺すな」となります。
また、五蘊、色・受・想・行・識についても、意味不明の解釈が横行していますが、
お釈迦様の当時の科学知識で分析できた肉体と精神の構造と考えれば、
極めて常識的な現代風の解釈
色は、肉体、
受は、感覚器官、
想は、脳の記憶、
行は、感覚の認識に反応した心の次の行動への意志・感情、
識は、感覚を記憶と照らし合わせなにであるか認識すること
であると私は考えます。
2. お経はすべてお釈迦様の死後百年以上後に成立
なにが真実なのか、記録や記憶から探ることは、
お釈迦様が生きていない以上もう不可能です。
理性で現実とうまく対応できる説法を取り出すことが真理へ近づく近道です。
3. お釈迦様は、死後の世界について説明されなかった
初期に成立したたくさんの経典からわかりますが、 お釈迦様は、死後の世界について説明されなかったのです。
お釈迦様は、現実主義だったと思われます。
だから、地獄、極楽、輪廻転生は、方便、現代では完全な嘘です。
なぜ当時に方便が必要となったのか、その理由と背景を考えましょう。
方便の目的は、八正道を守ってもらうための賞罰として
地獄、極楽、輪廻転生を持ち出したのです。
またお釈迦様の時代の社会通念、不滅霊魂の存在を仮定することも、あります。
日本にて布教するとき、日本の社会通念や当時の社会制度や庶民の生活状況も配慮しましょう。
4. 悟りが難しいは嘘
悟りは知識としての悟りと行為としての悟りがあります
知識としての悟りは、教えを理解し正しいと感じることです。
だから、お釈迦様が最初の説法で、
すぐ悟った弟子、コンダンニャ、がいて、
お釈迦様は大変に喜ばれたのです。
最初の説法では、四諦と八正道くせらいしか説法されていません。
あー、本当にとっても簡単です。
行為としての悟りは八正道を常に実践することです。
これは、確かに難しいと思いますが、
道から逸れたらすぐ修正すればよいのだと思います。
四無量心は悟った状態(つまり嬉しい状態です)です。
八正道を実践すると嬉しくなります。
つまり四無量心の状態になります。
切れ目無く八正道を行いましょう。
5. 観念論、形而上論に弄ばれるな
大乗仏教の空にこだわりすぎても何も出てきません。
正しいかどうか証明できないものに拘ることは得策ではありません。
諸法無我の解釈もはっきりしないものが横行しています。
私案ですが、諸法無我とは、
「この世の成り立ちを決めているもろもろの法則に、
我つまり個人の欲望が入り込む余地は無い」
という意味です。
簡単に言うと、客観的な法則、例えば、
一足す一は二の法則、生まれた人はみな死ぬという法則は
曲げられないということ。
諸法の意味を正しく取らず、
無我を「どこにも自分が無い」と解釈しては、
現実から眼を背けわき道にはずれて行く気がします。
6. 苦行は必要ない
お釈迦様が体験して悟られたことは「苦行は必要ない」ということ
苦しみながらするような禅の修業や冷水をかぶるような荒行は
ほどほどにしておきないということです。
7. 否定形に飲み込まれるな
八正道はするべき善です。
十悪はしてはいけない悪です。
八正道の解釈で十悪を持ち出すだけの
消極的解釈が横行しています。
もっと善を詳しく語りましょう。